自分の背中

それはもっとも遠い場所

母性という名の学習

南紀白浜アドベンチャーワールドのパンダの繁殖に注目が集まっているらしい。

 

母親パンダの母性を信じてなるべく母子を一緒にして育児をさせる。

そうすることによって育てられた子も育児を身につけるし、繁殖にも成果があがっているそうだ。

 

子どもを産むと母親として期待される行動をとれることを母性というらしい。

 

人間の母親も母性を発揮することを少なからず期待されているだろう。

 

でも、母性という曖昧な見ることのできない概念を要求しないでほしいと思ってしまう。

 

なにができることが母性で、なにをしてあげることが母性なのか。

 

ちなみにこの母親パンダは最初から適切な養育行動をしていたわけではなく飼育員さんが時には赤ちゃんの鳴き声の真似をしてとるべき行動を教えていた。

 

つまり、母性を信じて、と言っているが適切な養育行動を学習させ、それが生起するように環境を整えている。

 

1匹につき15人のマンパワーがあるからこそできるのかもしれないが、人間の母親でも同様の取り組みができるといいのかもしれない。

不妊治療の腹の中

不妊治療をしている。

不妊治療をしている人のブログを読んでいると

「心無い一言に傷ついた」とか

「子どものできた友達に会うのがつらい」とかよく書いてある。

 

私は治療をしていることはどんなことを言う/言わないの違いはあってもそれなりにオープンにしているが、これまであまり傷つくようなことは言われていない。

これは職業柄、福祉や医療にかかわっている人が多いからかもしれない。

 

子どものできた友達に会うことも、子どもよりも友達に会うことがメインなのでつらさよりも「久しぶりに会えて楽しい」のほうが大きい。

このあたりの感覚は独身の友達やまだ妊娠していない友達がいるからかもしれないので、時間の経過とともにどうなっていくのかな~。

 

もちろん「心無い一言に傷ついた」人が弱いわけでもないし、「子どものできた友達に会うのがつらい」という気持ちになることもあるだろうな、と思う。

 

不妊といっても原因が分かっていることもあれば原因不明の赴任もあるし、その人の年齢やパートナーの協力具合や不妊治療をしている期間なんかによっても感じ方が違うだろうと思う。

 

とりあえず、私は自分の治療を”妊活”と言われたくないな~。なんとなく。