自分の背中

それはもっとも遠い場所

夫婦雑感

最近夫婦の間に起こるすれ違いについてよく話を聞く。

友達に既婚者が増えたからだと思う。

 

その中で自分の夫婦観やが刺激されることがあった。

 

もっとひどい夫もいるんだから、離婚したくないならけんかをふっかけられる妻側が変わらなきゃいけない

 

という意見を聞いた時に

 

なぜ、他の夫婦に問題があることが、まったく別の夫婦の問題に結びつけられ、しかも妻側が変わらなきゃいけないのか、変わる必要があるのは夫だろ、

と思った。

 

多分私が夫婦というものをかなり個別の関係だと思っているからだろう。

しかし、その関係に苦しむ立場の人に変化を求めることはできないと思った。

 

でも援助者として、提供すべきは2人が夫婦としてどんな時間が持てるとよいか、そのためにどうしたらよいか考えてもらうことであったように思う。

 

お互い婚姻関係を継続していたいなら、そのためになにができるか。

自分の権利を主張することが役立つのか、正当性を主張することが役立つのか。

どちらも役立たないなら、役立つ方法を考えて実行してみたほうがいい。

 

しかし、このような対立が起きるのはなぜか、と考えると私たち世代(アラサー以下)はわりと男女一緒に授業を受けてきた世代だ。ノコギリのうまい女子や裁縫が上手な男子というものを体験しやすかった。

また、地域性から共働き率が高く、母親がなんらかの仕事をしている人が多い。

そして雇用機会均等法により男性と同じ金額の給与を稼ぐことが可能という労働状況である。

 

現実はまだまだ男女の差はあるが、男女共同参画社会をわりとリアルな生活で感じやすかった世代だと思われる。

これはこれからの世代はもっと男女差がなくなっていくだろう。

 

自立を求められ、男性と同等の給与を得た女性が結婚し家庭を持つ。まだまだ家庭では女性が多くの役割を担うことが多いだろう。

 

そうしたら、家事も仕事も夫の相手も完璧にできない現実がある。

家事や仕事といった具体的な課題に追われ、夫の相手のような曖昧な課題は二の次になってしまう。

まして夫と同等に稼いでいるのに、仕事で疲れているのは私も同じなのになぜ私ばかりが家事をするのか、なぜ彼は私の指示を待ってばかりなのか、と不満も溜まる。

夫も自分は手伝っているのに妻はなぜ不満なのか、自分だって稼いでるのに妻の余裕がないのはなぜだ、という気持ちになってくるのではないだろうか。

 

それを主張しあうとお互いが正しい意見をぶつけ合うことになってしまう。

 

決して二人はけんかをしたかったわけではないのに、お互いのことを思いやっていたのに。

 

やはり夫婦関係でも大切なのは二人がどんな時間を過ごしたいか、という観点で話し合いを進める必要があるだろう。

そのためにどうしたらいいか。