自己肯定感という目に見えないもの
いくつかのブログで自己肯定感という言葉がよく用いているのを見かける。
こんなに実績があるのに自己批判的なのは自己肯定感の問題もありそう
自分は自己肯定感が低いのでいつも決断ができない
のびのび発言できるクラスは自己肯定感が高まっている
などなど。
学校な先生は自己肯定感という言葉が好き(なイメージ)だし、世の中のお悩み相談ブログでも自己肯定感という言葉がよく出てくる。
そもそも自己肯定感とは、①自分はとてもよいと感じることと②自分はこれでよいと感じることの2つの側面があると言われている。
多分多くの人は②の意味を用いていると思われる。
自己肯定感というモノサシがあることでいろいろな現象を解釈することができて非常に便利。
さて、その便利な自己肯定感という言葉には落とし穴があって
先ほど例にあげた3つの文
・こんなに実績があるのに自己批判的なのは自己肯定感の問題もありそう
・自分は自己肯定感が低いのでいつも決断ができない
・のびのび発言できるクラスは自己肯定感が高まっている
だが、
自己批判的だから自己肯定感に問題があるのか自己肯定感に問題があるから自己批判的なのか、
決断ができないから自己肯定感が低いのから自己肯定感が低いから決断ができないのか
のびのび発言できるから自己肯定感が高いのか自己肯定感が高いからのびのび発言できるのか
相関関係はあるだろうが、因果関係は分からず、循環論に陥っている。
自己肯定感とは多分あるだろうがそれ自体は目に見えないものである。
目に見えないものを扱うこと、操作することは非常に難しい。
自己肯定感を高めましょうと言われてもどこをどうやればよいのやらわからない。
自己肯定感に問題があるという指摘は指摘でしかなく、問題のない自己肯定感というのもよくわからない。
だからこ自己肯定感のように多分あるだろうが目に見えないものをあらわすことばを使うときには直接操作不可能な概念であるという認識を持って使用する必要があるのではないか。
またあまり自己肯定感を高めることを目標にしない方がいいと思う。
自己肯定感とは、いろいろな体験を自分で解釈することを積み重ねることでいつの間にか自然と自分はこれでよいと考えられる状態というものである。
体験してそれを解釈するということが大事、特にできなかったり悪い感情が湧いたりする自分を許すことや難しい状況をなんとか切り抜けた自分を承認することが大事だと思う。
カウンセラーの役割とはそれを促すことにある。
だからこそ、カウンセラーや相談にのる人は相手の具体的な振る舞いや考えを探る、想像する、想像させるようにしていくように日々研鑽だなと思う。
この話は別に自己肯定感という言葉に限らず、女子力とかでも当てはまる。耳ざわりがよく、キャッチーでそれでいろいろな現象を説明できる言葉を使うとき、その言葉が一体どのような振る舞いや認知をあらわすのか敏感でいたいと思う。