自分の背中

それはもっとも遠い場所

高校生が不登校になったときにしてほしいこと

不登校っていうのはどの年代でも困ることなんだけど、高校生の不登校は一味違う。

 

義務教育じゃないので不登校になると単位が足りなくなって、留年になる。

だいたい2ヶ月連続不登校だともう単位が足りなくなる。特に授業時数の少ない保健とか家庭科とかから足りなくなる。

だから、教室復帰するなら時間との勝負なんだけど、たいてい不登校開始から2ヶ月経って、担任からカウンセリングを進められ、来談する。

「来週の保健出ないと単位がなくなるんです」とか言われてもできることなんかほとんどない。

たいてい2ヶ月も不登校だと、生活リズムが乱れているし、日中はゲームやスマホなんかの楽しみを見つけてしまってるから学校に行くリズムになってない。

学校という刺激自体も避けてるから、勉強してないことも多いし、担任とも電話で話していない。そんな状況で先生も協力しよう、とはなりにくいだろう。

本人はたいてい

教室に入るなんてみんなが注目するんじゃないか?ムリムリ‼︎

となっている。

そういう状態だと、日中はゲームやスマホせずに勉強する、手伝いすることから生活リズムを直したり漸進的接近法で徐々に学校や教室に近づいたりという手続きを取りたい。

 

でも1週間でそれやるのはムリですよ!?

となる。

カウンセリングなんて魔法でもなんでもないから一回来て学校行けるようになんかならない。

 

まず、保護者の方

①子どもが1週間連続で休んだらすぐに担任や学年主任やスクールカウンセラーに相談してください。様子見ましょうという人がいたら、それはただ問題の先延ばしなので、見切りつけて別な機関や人をあたってください。

②たいてい本人はお腹痛いとか頭痛とか言いますので医療機関を受診してください。これは不登校なのか病気なのかを見極めるために必要です。

③病気を訴えたらできるだけ、スマホやパソコン、ゲームは預かってください。理由は病気だから安静に、です。

その他の理由でも、学校に行ってる時間だからダメ、です。

欠席すると楽しいを身につけさせないでください。

④手伝いや勉強などやることをやったら楽しく過ごせるを徹底してください。何もしないのに欲しいものが手に入れば、いつまでも何もしません。

 

教員の方

不登校になったのは大抵は先生のせいではないです。まぁ、教員の強い叱責とかであれば別ですが。

むしろこれからが大事です。できるだけ早めに保護者にカウンセリングを紹介してください。

②できるだけ課題を与えてください。やったら褒めてあげてください。連絡ノートあるといいですね。残りの授業時数もこまめに伝えてください。

③席は出入り口の近くに、他の生徒への配慮をお願いします。キャラにもよりますが、大抵は注目されたくないですから、授業始まる直前に来て終わったらすぐ出るなどできるように。

 

不登校になっちゃった君

①学校休みだすと不安ですね。でも、不安だから先延ばしにしているともっと不安になってくるから早めに解決した方が楽ちんだし、自信になる。

解決というのは学校に行くこと、ではなく、朝1時間早く起きるとか、好きな科目を勉強するとか、家事をするとか。ちょっとしたことでもやってみよう。

②外に出る習慣を取り戻そう。ゴミ捨てや水やり、ちょっとした買い物など休みの日に私服でもいいから、外に出よう。

③好きなことを見つけたり進路について考えてみよう。

好きなことがあればそれをやれる環境はたくさんある。外に出れるなら、学校見学やオープンキャンパスに行ってもいい。 高校の転校なんてイメージつかないのは当たり前だから、見学してみて、イメージをつかもう。見学したからって転校しなきゃいけないわけじゃない。

 

 高校生の不登校は、時間との勝負で、早めに動けば教室復帰の選択もできるけど、単位が足りなくなると留年か転校しかなくなるので、早めに対応してもらいたい。

こんな価格で陪席していいんですか

 もっと早く出会いたかった本

 

 

思春期の精神科面接ライブ-こころの診察室から‐

思春期の精神科面接ライブ-こころの診察室から‐

 

 

冒頭に著者が面接において大切にしているものが語られ、会話形式でやり取りが記録され、注釈として、著者の意識した点や診断の選択、時折のダメ出しが書かれている。

精神科医の仕事は面接の流れを作ること、という視点が斬新だった。

患者の行動を変えよう変えようと力むのではなく、変えるにいたるように持っていくことに注力する。

どの事例においてもリソース探しと問題行動以外の行動を増やすことが一貫して行われている。

 

考えてみれば思春期なんて程度の差こそあれ、問題行動をするのが当たり前の時期とも思える。それが、病的だったり法を犯すものだったりするとそれなりの対応が必要だが、たいていの場合は時間が解決してくれる。

 

面接の流れを作ることで、私にもまともにやれる力があるのでは、と思ってもらう。時間の力も借りつつ本人の解決力が高まるように働きかける。

 

その人の知性が最大限発揮される面接になるように工夫しているとのことで、そこらへんも関係していると思うが、注釈にはその解説がないのでもっとその工夫について知りたい。

 

また、"患者さんが主役"という信念のため、診断しないことや医者だってできないことがあるというスタンスは私自身の悪い癖である「クライエントの期待に応えなきゃ」とは真逆である。

 

スクールカウンセラー養護教諭が読んでも参考になると思われる良書です。

 

SNSでの相談は心理士の隙間産業になるか

SNSで爪噛みをしているお子さんのお母さんに対して周囲の大人が「ストレスがあるので時間をとるように」的なアドバイスをした、という投稿を見た。

お母さんは結構心配して、お子さんに注意もして、ちゃんと原因を治さなくちゃって考えていた。

 

爪噛み=ストレスの解消

だからお母さんが時間をとって向き合ってあげてっていうのはアドバイスではないですよね。

 

類似のアドバイスとしては愛情たくさんかけてあげて、とかですね。

 

向き合うとか愛情をかけるとかそういう耳触りのいい育児論って困ってる人に役立つのでしょうか。

 

私、子どもいなくて育児で困ったことないからわからないけど。

逆に「もっとちゃんとしなきゃ」とか「母親として失格なのかも」とか追い詰められてしまいそうだなぁ…。

 

この方がちょっと気になったので爪噛みには習慣逆転法が効果あるかもしれないと伝えました。

早速検索してみていただいたようです。

 

本当なら、爪噛みをしてない時に関わりを増やすこととか、記録の取り方とかもお伝えできたらと思いました。

 

instagramとかtwitter よりもうちょっと匿名性の高いSNSなんかでこういう子どもの困った癖や行動について気軽に書いてもらって、そこに専門家がコメントして、詳しく知りたかったら料金を払ってskypeカウンセリングを受けられる、みたいなシステムがあるといいのかもしれないなぁ…とか思ってみた。

 

そうしたら、時間をとりにくいお母さんが育児と仕事の隙間時間に利用しやすくて、子どもの困った癖について気軽に相談、対応できていいし、反対にいろんな事情で仕事を離れた心理士も収入を得る機会にもなるのではないかしら。

 

私が考えるくらいだからもうありそうだけど。

 

採卵その後の愚痴

採卵終わって、受精確認もした。

受精卵は10個中8個

 

そのうち胚盤胞になったのは6個で凍結に至ったのは3つ。

4BBが2個と4CBが1個。

 

しかもBBの胚盤胞もCに近いらしい。

移植しても20%ちょっとの妊娠率。

 

とりあえず凍結までに50万円近くかかったのに煮えきらない結果にがっかり。

 

先生は受精と卵割の成績悪くないし移植してダメだったらまた時間かかるからもう一回採卵したら?と提案されたけど、また50万円くらいかかるよね?

 

うちは年収的に助成が受けられるか微妙な金額だし、そもそも年度末までに申請だからまだ助成金受けれないし。

税金の支払い時期だから貯めてた貯金もざっくりなくなる時期だし。

 

つーか同じ年齢の子はタダでサクサク2人目できてるのに、私は50万かけても一人もできないってどういうことだよ。 

 

20代での体外受精の妊娠率高いから採卵急いだのに。

 

今年中に奨学金も返し終わって、旦那に新しい車も買ってあげる貯金始めたいな、とか思ってたのに。

自分の体が自分の人生設計を邪魔してる。

 

結局どうせ採卵するにしても仕事の都合で9月以降にしか出来ないので移殖することになりました。

旦那は希望的観測してるけど私は結構ダメ元でやるという気持ちです。

 

9月に採卵するとして、お金の計画立て直さなきゃだな。

夫婦雑感

最近夫婦の間に起こるすれ違いについてよく話を聞く。

友達に既婚者が増えたからだと思う。

 

その中で自分の夫婦観やが刺激されることがあった。

 

もっとひどい夫もいるんだから、離婚したくないならけんかをふっかけられる妻側が変わらなきゃいけない

 

という意見を聞いた時に

 

なぜ、他の夫婦に問題があることが、まったく別の夫婦の問題に結びつけられ、しかも妻側が変わらなきゃいけないのか、変わる必要があるのは夫だろ、

と思った。

 

多分私が夫婦というものをかなり個別の関係だと思っているからだろう。

しかし、その関係に苦しむ立場の人に変化を求めることはできないと思った。

 

でも援助者として、提供すべきは2人が夫婦としてどんな時間が持てるとよいか、そのためにどうしたらよいか考えてもらうことであったように思う。

 

お互い婚姻関係を継続していたいなら、そのためになにができるか。

自分の権利を主張することが役立つのか、正当性を主張することが役立つのか。

どちらも役立たないなら、役立つ方法を考えて実行してみたほうがいい。

 

しかし、このような対立が起きるのはなぜか、と考えると私たち世代(アラサー以下)はわりと男女一緒に授業を受けてきた世代だ。ノコギリのうまい女子や裁縫が上手な男子というものを体験しやすかった。

また、地域性から共働き率が高く、母親がなんらかの仕事をしている人が多い。

そして雇用機会均等法により男性と同じ金額の給与を稼ぐことが可能という労働状況である。

 

現実はまだまだ男女の差はあるが、男女共同参画社会をわりとリアルな生活で感じやすかった世代だと思われる。

これはこれからの世代はもっと男女差がなくなっていくだろう。

 

自立を求められ、男性と同等の給与を得た女性が結婚し家庭を持つ。まだまだ家庭では女性が多くの役割を担うことが多いだろう。

 

そうしたら、家事も仕事も夫の相手も完璧にできない現実がある。

家事や仕事といった具体的な課題に追われ、夫の相手のような曖昧な課題は二の次になってしまう。

まして夫と同等に稼いでいるのに、仕事で疲れているのは私も同じなのになぜ私ばかりが家事をするのか、なぜ彼は私の指示を待ってばかりなのか、と不満も溜まる。

夫も自分は手伝っているのに妻はなぜ不満なのか、自分だって稼いでるのに妻の余裕がないのはなぜだ、という気持ちになってくるのではないだろうか。

 

それを主張しあうとお互いが正しい意見をぶつけ合うことになってしまう。

 

決して二人はけんかをしたかったわけではないのに、お互いのことを思いやっていたのに。

 

やはり夫婦関係でも大切なのは二人がどんな時間を過ごしたいか、という観点で話し合いを進める必要があるだろう。

そのためにどうしたらいいか。

採卵まとめ

前々日

23時と24時にブセレキュア

 

前日何もなく、かえってなにか忘れてないか不安に。

 

当日

夫の精子を持ってクリニックへ。

手術着に着替えリカバリー室で待機。

看護師さんが迎えに来て、血圧や心電図など装着し、点滴を打つ。

痛み止めの注射を点滴から入れたが、これがめちゃめちゃ痛い!ジン…ジンジン…ジンジンジンって感じで。

痛いのは異変かなと思って「痛いです」と言ったら先生から

「痛いんだよね」と言われた。

 

点滴とか注射する前のアルコール消毒で「冷たいよ」とか言ってくれるのに、「痛いよ」も予告してほしい。

 

麻酔が効いたけど全然意識はあって、でもぼんやりしてみたいな感じで針を刺す痛みで現実に引き戻される感じ。二度寝くらいの意識レベル。

先生が「吸って」というのに合わせて息を吸って「入れて」というのに合わせて息を吐いてた。

「入れてって何?肺に空気を入れてってこと?多分違うけどわからんし痛い!だから先生に合わせて息するしかない‼︎」

とか考えてた。

痛いからうなるとだんだん先生が「はい頑張ってね〜」「はいあとちょっとだよ〜」ってだんだん赤ちゃん扱いになっていくのが申し訳なかった。

無事採卵終わり、リカバリーで過ごした5時間で4回くらいトイレに行きました。

 

出血は当日、翌日となかったけど、3日目からおりものの量が増えたせいか血が混じってた。

 

翌日受精確認したところ、顕微受精で10個中8個受精卵になって一安心。

 

これが胚盤胞にいくつなって、移植して着床するかどうか、そしてちゃんと育つかどうかってまだまだ段階はたくさんあるけど、とりあえず一歩前進です。

自己肯定感という目に見えないもの

いくつかのブログで自己肯定感という言葉がよく用いているのを見かける。

 

こんなに実績があるのに自己批判的なのは自己肯定感の問題もありそう

自分は自己肯定感が低いのでいつも決断ができない 

のびのび発言できるクラスは自己肯定感が高まっている

 

などなど。

学校な先生は自己肯定感という言葉が好き(なイメージ)だし、世の中のお悩み相談ブログでも自己肯定感という言葉がよく出てくる。

 

そもそも自己肯定感とは、①自分はとてもよいと感じることと②自分はこれでよいと感じることの2つの側面があると言われている。

多分多くの人は②の意味を用いていると思われる。

 

自己肯定感というモノサシがあることでいろいろな現象を解釈することができて非常に便利。

さて、その便利な自己肯定感という言葉には落とし穴があって

 

先ほど例にあげた3つの文

・こんなに実績があるのに自己批判的なのは自己肯定感の問題もありそう
・自分は自己肯定感が低いのでいつも決断ができない

・のびのび発言できるクラスは自己肯定感が高まっている

 だが、

自己批判的だから自己肯定感に問題があるのか自己肯定感に問題があるから自己批判的なのか、

決断ができないから自己肯定感が低いのから自己肯定感が低いから決断ができないのか

のびのび発言できるから自己肯定感が高いのか自己肯定感が高いからのびのび発言できるのか

 

相関関係はあるだろうが、因果関係は分からず、循環論に陥っている。

 

自己肯定感とは多分あるだろうがそれ自体は目に見えないものである。

目に見えないものを扱うこと、操作することは非常に難しい。

自己肯定感を高めましょうと言われてもどこをどうやればよいのやらわからない。

自己肯定感に問題があるという指摘は指摘でしかなく、問題のない自己肯定感というのもよくわからない。

 

だからこ自己肯定感のように多分あるだろうが目に見えないものをあらわすことばを使うときには直接操作不可能な概念であるという認識を持って使用する必要があるのではないか。

 

またあまり自己肯定感を高めることを目標にしない方がいいと思う。

自己肯定感とは、いろいろな体験を自分で解釈することを積み重ねることでいつの間にか自然と自分はこれでよいと考えられる状態というものである。

体験してそれを解釈するということが大事、特にできなかったり悪い感情が湧いたりする自分を許すことや難しい状況をなんとか切り抜けた自分を承認することが大事だと思う。

カウンセラーの役割とはそれを促すことにある。

だからこそ、カウンセラーや相談にのる人は相手の具体的な振る舞いや考えを探る、想像する、想像させるようにしていくように日々研鑽だなと思う。

 

この話は別に自己肯定感という言葉に限らず、女子力とかでも当てはまる。耳ざわりがよく、キャッチーでそれでいろいろな現象を説明できる言葉を使うとき、その言葉が一体どのような振る舞いや認知をあらわすのか敏感でいたいと思う。